「ヤマハ音楽教室」。それは革新的な出来事だった。
生みの祖(おや)は日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)の四代目社長である故・川上源一だ。

 

川上は当時、欧米の視察旅行中に、ギターを持ってハイキングに行く若者や、夕食後にコンサートを開く家族など、
音楽を身近に楽しむ人々の姿が脳裏に焼き付いたという。

 

欧米の人々が楽しんでいたような豊かな時間を日本人にも体験させたい。そんな夢を描いて帰国した。
だが日本の街を歩いていて感じるのは「オルガンは売れているのに、家々から音楽が聞こえてこない」ことだった。

 

難しい教育が音楽のハードルを上げ、レッスンを投げ出してしまう原因と考えた川上は、
「音楽は誰にでもできる、楽しいもの」という考えを広めることも楽器メーカーの使命ととらえ、行動する。

 

無理なく音楽を楽しむためのシステムを追求すべく、東京・銀座で小さな音楽教室が始まった。1054年のことだ。

 

当初から確立されたメソッドは多くの反響を呼び、音楽教室は規模を拡大。
そのスピリットは受け継がれ、あまたの卒業生を生むこととなった。

開設から70年の時を数えた今、通う人たちとって、レッスンは人生の❝サードプレイス❞になっているという。